疲れている。
どうしても、抜け出せない。
人にあったほうがいいという医者の勧めが、人に会わなければいけないというプレッシャーになり、自分を縛る。
縛られると、そこから抜け出す為に食べる。
そうでなければ、自分を責める。
自分は魅力的じゃない、醜い、つまらない人間だ。
抜けたと思ったところが、もっと深い穴だった時ほど絶望感は大きい。
痩せたがっている。
マラソンの楽しさを忘れてしまっている。
疲れる。
こんな人生は送っている意味がない。
つらいだけだ。
高校生の時など特に思い出したくない。
嫌なことばかりだった。
とにかく太っていた。
真夜中まで食べ続けていた。
好きだったスポーツもきついだけだった。
成績も下がり続けた。
家に帰れば喧嘩が聞こえて、家はひどく散らかっていて、何も何一つ光なんてなかった。
そんな日々を思い出すと、自分はよくがんばったと誉めたくなる。
でも、どうして自分はあんなにがんばらなければならないと思い続けたのだろうと思う。
がんばってがんばることができれば、成果がでてそれは楽しいこともあったかもしれない。
けれど、その時の私はがんばることなんてできなかった。
抱えている問題が多すぎた。
だれも助けてくれなかった。
でも、それがすべて自分の努力不足で起こっていることだととにかく自分を責めた。
うまくいかないのは自分の努力が足りないからだ。
太った体も、上達しないスポーツも、下がり続ける成績も、それはすべて、自分の努力が足りないせいだ。
そして、ここにきて、とことん努力というものをした。
それは、半年以上にわたる、無理なダイエットだった。
そこで、私は理想の体重を手に入れた。
その体重になれば、私の人生は180度変わると思っていた。
自信に満ち溢れた人生になると思っていた。
でも、そうじゃなかった。
痩せた体になっても何もかわらなった。
私はもっと痩せなければいけないと思っただけだった。
それより以前に比べるとずっと細くなった体のわずかに太い部分だけが気になった。
厳しく制限された食生活とのバランスと仕事や人間関係のストレスが重なって、
私は、おかしくなっていった。
ただ、頭の隅で何かおかしいと誰かがいっている感じだった。
だから、病院にいった。
病院に言って私が言った事は、痩せたいということだった。
それ以外に何を言っていいのかわからなかったからだ。
おかしいと思うこと自体が何かいいわけのような感じがした。
でも、今になって思えば、私はとてもおかしかった。
おそらく、私はずっと前から摂食障害だった。
無理なダイエットを通してその症状がはっきりと出たのだと思う。
同時に鬱になり、何かを話せば涙が出る、パニックになる。
そんな状況だった。
病院に3ヶ月入院し、自分が病気であることを認識し、退院。
週1度医者に通うようになった。
元の世界に戻って、私は、やっぱり人に会えない。
ダイエットしていたころに比べて、ずいぶん太ってしまったこの体がおぞましい。
人に見せられない。
大事なことはそんなことじゃないと思っても、もうひとりの私は耳を貸さず、
私は醜い、努力が足りないと攻め立てる。
それに対抗するかのように、それに縛られるのを恐れるかのように、私は食べることを余計に考え出す。
そして、太る。
そして、抜け出せない。
私は、何年にも渡ってこんな生活をしてきた。
それはもう15年以上にもなる。
そんな生活をしていたという自覚がなかったというだけだ。
ただ、私が弱いために何一つ達成できないという思い続けた。
果たして、私は、ほんとうにそうなりたかったのだろうか。
勉強もスポーツも体型も私がほんとうに欲しいものだったのだろうか。
ありのままの私でいることがつらかった。
周りの人と何か違いを感じた。
周りの女の子達のように、ファッションに興味を持ったりできなかった。
私はあまりにも太っていてその資格がないと思っていた。
理由はそれだけだろうか。
私は、ファッションよりも他のことに興味があったんじゃないんだろうか。
周りの綺麗な女の子達みたいにならないといけないと思っていた。
なりたいのとは違うじゃないだろうか。
私はもう親に養われてはいない。
自分でお金を稼ぎ、自分で自分の人生をアレンジできる。
親の喧嘩や八つ当たりでストレスを感じることなんてないのだ。
自由なんだ。
なにもがんばらなくていい。
もう自分を許してあげてほしい。